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「大塚史学」の現代的意義

比較史の意識と方法

大塚久雄の研究対象は西洋における市民社会の形成史、あるいは
資本主義発達史でした。
直接的にはそうだったのですけれども、

しかし、その場合も、例えば「中産的生産者層」というキー概念にしても、先生自身の言葉によれば、それは確かに「イギリス経済史を分析するための概念手段」ではあるけれども、しかし、先生が「奥深く抱いている問題観からすれば、それはむしろアジア文化、とくに日本文化の自己理解のための概念手段」なのでした。同じように、「前期的資本」「初期独占」「産業資本の社会的系譜」「共同体の基礎理論」「農村工業と局地的市場圏」「小生産者的発展」「近代化と産業化の相関と乖離」「マニファクチャーと問屋制度の対立と関連」「国民経済の産業構造」「貿易国家の諸類型」、あるいは「近代化の人間的基礎」「国民経済の精神的基盤」等々いくつもの新しい概念装置、理論的枠組みがあるわけですが、それは基本的には、先ほど菊池先生からお話もありましたが、先生が自前で開発し駆使してパラダイムの転換といいますか、問い方そのものの組み替えにつなげられたものでした。それは、当時の日本の「現在」的な問題状況との緊張関係を背景にして、「日本人の目でヨーロッパ[近代社会形成]史を」凝視することによって、逆に「現代」日本の社会や文化を比較史的に理解しようという学術上の試みなのでした。

経済大国と談合的文化

もちろん「大塚史学」が形成された戦前・戦中の暗黒時代と戦
後の日本、戦後民主主義以降、とりわけグローバル化の現在で

は、日本もアジアも世界も大きく変化しています。当然大塚先生の問題意識も広がり、あるいは深められてきています。現実の発展につれて、あるいはそれを先取りして、大塚自身の問題関心が広がってくる、あるいは深められてくる、あるいは質的に新しいものが加わってくるということです。しかし、その場合も、考えてみると、日本は「経済大国」になったが、この経済大国には、同時に「談合的文化」が対になって問題になっている。まさにグローバル化とともに「談合」や「派閥」「人脈」、「過当競争」と「独占」癖、「身内」と「余所者」といった日本の経済や社会の特質がますます浮き彫りになるという一面がある。 例えばこのようなことも含めて、現代の中には過去のとげが突き刺さっている。  そうした歴史のくびきを抜きにしては現代をとらえきれるものではないといえると思うのです。

市民社会と現代

そうしたこともあって、欧米では、いま、産業革命以前の中産層と中
産層文化への関心が大きくなっています。
近代の産業社会によってつ
くられたミドルクラスではなくて、むしろ近代産業社会を創り出した社会層としてのミドルクラスへの関心、産業革命をつくり出した新しい市場経済の担い手としての社会層、そういう意味での中産層、あるいは中産層文化への関心が最近になって非常な高まりを見せているのです。私どもも3年ほど前に『中産層文化と近代』というささやかな一冊をまとめて、こうした欧米の動向と大塚史学との対話の試みを始めています。 いうまでもなくこのテーマはイギリス初期近代をどう描くかという課題を超えて市場経済とそのモラルといいますか、人間的基礎形成の原点を問うという、そういう意味で今日的な意味を持っているテーマでもあるのです。旧ソ連等、あるいは開発独裁下の新興諸国では、強制的な指令、命令のシステムになじんだ、それだから受け身の大衆が形成され、そのために、ますます上から指令、強制が必要とされてくるという悪循環の中で、人権や市民意識をもち創意と活力に満ちた市場経済の担い手の形成、そういうことが今課題になっている。

 経済社会の現代化、国際化に伴って経済摩擦と文化摩擦、したがって市民社会のルールだとか、あるいはグローバル化の倫理が改めて問題になっています。また経済的繁栄と精神的な貧困といいますか、物質的な豊かさと同時に何か心の貧しさがあって、その間にどういう関係があるのかが現代的な問題として私たちの前に登場してもいます。大塚にとって、そうした近代から現代への移行、それはある意味で形式的合理化の徹底ですけれども、しかし、この形式的合理化の徹底が官僚制的な鉄の檻、そうしたシステム社会の登場に道を開いたにせよ、近代化のプロセス、その歴史的意義は全否定の対象ではなく、未来社会、あるいはあるべき現代社会の中にいわばアウフヘーベンされるといいますか、高められて保存される、昇華された形で保存されるという、そういう意味で普遍的な理念と捉えられていたように思われます。 とくに、大塚が、近代化過程にみられた市民のボランタリな結社であるアソシエーションを「新しい共同体」として重視し、その現代的意義を示唆していることなどは、注目されるべきだと思われます。

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