大 塚 久 雄 ─ 人と学問 ─

 

 なによりもまずキリスト者であった大塚久雄(1907−1996)は,社会科学の路程を進むなかでわが国の学問・思想に大きな足跡を残した。大塚久雄に洗礼をほどこした内村鑑三が「二つのJ」 — Jesus と Japan — への献身を語ったのと同じく,「信仰」と「社会科学」とをいわば楕円の二つの焦点に据え,両者の軋むような緊張のなかに描かれる地平を深く耕し続けたのである。

 大塚久雄の名をまず世に広く知らしめたのは,大戦をはさんで継起的に発表された経済史研究であったといってよいであろう。これら一群の業績は,わが国の同時代的状況を念頭におきつつ,独自の概念装置と「比較」という方法的視座とをもって構築されたものである。「前期的資本」,「農村工業」,「中産的生産者層」,「局地的市場圏」等々の諸範疇を駆使してなされた近代資本主義成立とその歴史的諸条件についての研究は,主として近代ヨーロッパを対象としたものであるにもかかわらず,読む者に対し,常にわが身を想起させる鏡の役割を帯びていた。しかも,その経済史研究は政治経済の領域のみならず社会生活を営む人間の内面的動機理解を媒介とする方法的特徴を備えており,それはマックス・ヴェーバーを深く読み込むことによって獲得されたものであった。

 近代社会成立の研究は当然,それ以前の社会との比較を必須のものとするから,「共同体」の研究は重要な位置をしめることになる。この比較考察は,マルクスの前資本主義に関する研究から歴史理論として『共同体の基礎理論』へと結実するのだが,その根底には「近代的人間類型」にかかわる一連の洞察があった。だからこそ,いわゆる「工業化」が単純に「近代社会」をもたらすものではなく,場合によってはかえって「旧体制」を強化するようにはたらくという歴史も示し得たし,同時にそれは日本を含む戦後世界への鋭い警告ともなりえたのである。常に二つの焦点間の緊張の中に身をおくことで,「理論家」大塚は,いわば「経済」を「文化」として遇しながら,「形式的合理性」に絡めとられてしまった現代の社会と社会科学とに対する根源的・思想的な問いを今も発し続けているように思われる。

 この文庫は,いわば大塚作品の工房跡といってもよいのだが,その構成のすべてが研究素材として利用されたものではない。戦中戦後の公私とも困難な時期をくぐり抜けてきたものであるだけに,途中手放したものもあると聞いている。最後の住まいとなった東京石神井台のお宅にはかなりの頻度で献本があって,これらが現存の多くを占めていることも事実である。したがって,その構成は一面で大塚先生の人的・学問的な広がりを示している。本人の研究足跡を明示的に示すのは助手時代からのノート類と,徹底的に読み込まれたヴェーバー等の諸文献,それから着想と読み方を示す書き込み類などであろう。とはいえ,どのような側面からにせよ,大塚久雄への接近を試みる者にとってここは出発の地である。

 

福島大学経済学部教授  菊 池 壮 蔵