『書燈』 No.20(1998.4.1)

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今野源八郎先生寄贈図書・資料について  (前館長 渡辺義夫)


 1997年度、本学附属図書館は、開館以来はじめてと言っていい大きな二つの蔵書の寄贈を受けた。ひとつは故大塚久雄先生からの「大塚文庫」であり、これについての第一報は前号にのせた。もうひとつは故今野源八郎先生の全蔵書・資料である。

 先生は1906(明治39)年、相馬市に生まれ、八幡小、県立相馬中を経て弘前高校から東京帝大経済学部に入学、1930年に卒業、直ちに助手となった。1933年から34年にかけて米国ジョージ・ワシントン大学およびブルッキングス研究所で経済政策を学びさらにドイツ・ベルリン大学にも留学された。1937年から39年には、ドイツ国立キール大学附属世界経済研究所客員講師として日本経済論を講じ、帰国後母校の講師・助教授・教授をつとめ、1960年「アメリカ道路交通発達論」で経済学博士となり、1967年に定年退官、東大名誉教授となられた後も弘前大人文学部に1972年まで勤められた。この間、戦後早々から運輸省自動車交通審議会、内閣鉄道会議、建設省道路審議会等々の政府審議会の委員をはじめ日本道路公団、国鉄自動車問題調査会等々、公団・公社の委員・顧問もつとめられた。また、日本地域学会の創設に尽力され、理事・顧問にもなられたほか、国際地域学会、日本交通学会の評議員・理事・会長も歴任された。90才で急逝なさるその日まで、日本交通政策研究会と、(財)道路経済研究所の最高顧問として、研究所内の研究室と葉山のご自宅の書斎とを、週に何度も、ご自分の運転で往復され、現役として研究をつづけられた。

 先生のご蔵書の特色は、以上のご経歴からもうかがわれるように、1930年代の米国とドイツの経済・政策にかかわる洋書・洋雑誌類と、戦後早くからの日本各地の運輸・交通関係の政策決定にかかわる中核的な生資料の圧倒的多さである。本学にも専門がピタリとは重ならぬまでも深く関係する領域の研究者も多いにちがいない。蔵書・資料が生きるための一日も早い分類整理が本館の使命であるが、とくに資料類の整理については、どのような基準が妥当か模索中である。学内外研究者の、現物のご一覧・ご助言・ご協力を切にねがっている。

 専門員が粗分けしてくれた現段階での蔵書・資料の概略はつぎのとおりである。

○図書(和書4100冊,うち白書・年次物等網羅的で欠落なし。洋書1500冊,ナチズムとニューディール関係ほか)

○雑誌(和,主なもの50タイトル。洋,20タイトル。専門誌で,Vol 大。)

○資料(和,約1万点)

 全体として運輸交通に関するあらゆる分野。道路・港湾・空港,自動車・船舶・航空機関係の社会・経済的分析書。どんなパンフも1点たりとも捨てずに保存の感あり。

 以下、後日のために、収蔵までの経緯の概略を、日録ふうにしるしておく。

・'95・10・2 吉原学長より樋口館長に「今野先生が蔵書を寄贈したい」との話あり。ニューディールとナチズム関係文献がメインとのこと。

・10・3 館長,今野先生に電話連絡。先生としては図書は一括寄附したい、時期はリストを作成した後に。それまで待っていてほしいとのことで,館長からは「文庫」の特設はできないが一括頂戴してその後のことはあとで考える、ということで、次期館長に引き継ぎ。

・'96・11・10 今野先生ご逝去。学長弔電。

・11・28 道路経済研究所(東京・九段)から蔵書寄贈の件で確認連絡。ご遺族は故人のご遺志どおりに、とのこと。途中までできていたリストがすぐに届いた。(この範囲ではニューディールやナチズム関係のものはなかった。)

・12・18 研究所から「ご遺族が来られ、葉山の自宅にもかなりの本があり、これもどうぞ,とのこと」という連絡あり。

・12・19 館長,研究所とご自宅を訪問。お礼と本の下見。研究所の蔵書は白書・報告書・資料類多数,ご自宅のは1930年代の洋書・多数をふくむ。

・'97・1・10 館長,研究所で蔵書仕分けと発送打ち合わせ。

・3・17 研究所から蔵書届く。書籍用ダンボール200箱。配架,図書約3千冊と資料類多数。

・3・30 相馬のご実家での納骨式。学長の名代として館長参列。ご実家にあった蔵書も頂戴。和書・洋書それぞれ約90冊ずつ。

・5・22〜23 葉山のご自宅から蔵書搬出のため、館長と専門員の2名で出張。梱包立ち合いと輸送の掲示。ダンボール327箱。

・5・26 葉山の蔵書着荷。28日配架終了。

・9・1 ご遺族3名来館,学長,御礼のあいさつ。


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