『書燈』 No.24(2000.4.1)

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ユーザーが幸せを感じる図書館とは
館長 箱木禮子  

 <インターネット時代来たる>

 図書館は本学でももっとも電子化の影響を受けた部局であろう。ユーザーが図書館で最初に出会う電子機器が図書検索用のコンピュータである。私が福島大学で初めて出会ったコンピュータは森合キャンパスにあった。ほとんどプレハブのような電算室には本体とプログラムを読み取る機械が据えてあった。当時のプログラムは3センチ位の幅の紙テープに大小の穴をパンチして作った。達人になると、ピンク色の紙テープの穴の位置を見るだけでどんなプログラムかわかったようである。そのテープを読み取り機械にかけると、シュッシュッと音を立ててテープが巻き取られていくのだが、時々何かに引っかかって止まってしまうことがあった。すると電算室の主である某先生が足でその機械をけとばすのである。すると機械は不思議とまた動き出すのだった。

 紙テープを使うコンピュータの次は、カードにつけた印でプログラムを読み取らせる大型コンピュータだった。その道のプロの研究室を訪ねると、数十センチにもなるカードの束が書架に並べられていたものである。しかし間もなくフロッピーディスクが普及し、コンピュータも小型化されて、今のようなパソコンの時代となり、それがつなぎ合わされて大量の情報が瞬時に世界を駆けめぐるインターネット時代となった。技術革新のスピードとその影響のすごさを実感する出来事であった。

 古いコンピュータに記録された情報は、それにふさわしい読み取り装置がなければ内容を知ることができない。そこに大切なアイデアが入っていたとしても、読み取り装置なしではそれを取り出して人間の五感に訴える情報とすることができない。図書館を電子化していく際には忘れてはならない課題である。

 コンピュータは便利な道具である。ものによっては人間の先生に教わるよりコンピュータに教わった方がよく覚えられるものもある。こうした学習の便利さを初めて知ったのはニューヨーク大学に8か月の私費外地研究に行った時である。図書館の検索は1986年当時すでにコンピュータ化されており、耳で聞く英語で何か教わることが大変だった私には、コンピュータが教えてくれる図書館利用法はありがたく、おかげで好きなだけ本を捜したり読んだりすることができた。

 現代はインターネット時代である。パソコンに電話線をつなげば瞬時に世界中の情報を手に入れることができる。しかしパソコンさえあれば本は不要だ、ということにはならない。300ページの本を読むことはものにもよるがそれほど苦痛ではない。だがパソコン画面で300ページ読むことはとても無理である。きっと頭痛でダウンするだろう。画面を読まずにプリントアウトする方法もあるが、300ページのプリントアウトは大変である。紙や書籍の形をした情報にはそれなりの使いみちがある。パソコンの利便性と書籍の利便性は補完的なものであって上手に使いこなすことが必要である。

<文字情報を使う・作る>

 最近「18歳のころ何を読んだか」という質問を受けた。いろいろな小説や随筆が頭に浮かんだが、ひとつ忘れられない読み物があった。それは森鴎外の「寒山拾得」という短編小説で、高校の国語の教科書に載っていたものである。その当時、この小説のエッセンスがどうしても理解できなかった。これが理解できたのは20年後に禅の体験をした時である。また、これぞ名文、というものもある。柳田国男の『遠野物語』の序文は名文に値するのではないだろうか。読んで役に立ったという本もある。梅棹忠夫の『知的生産の技術』である。この中に、文章をつづるための技術としてKJ法を改良した「小ざね法」というものが紹介されている。文章を組み立てていく際に、まずブレーンストーミングのように思いつくままの断片的なアイデアを小さなカードに書き出し、それを大量に作って整理していき、文章のアウトラインを作るというものである。本稿も実は「小ざね法」によって書かれている。この方法を学生に教えるのだが、教え方が悪いのかいまだに使い手が現れない。

 本を情報源として使う場合、書き込み、線引き、折り込みなどがよく行われる。図書館で古い論文などを引っ張り出してみると先人たちの書き込みを見つけることがある。皆が利用する本に勝手な書き込みをされては迷惑だが、反面、コピー機械もなく、十分に本を買うこともできなかった昔の人の苦労が理解できる。本を読むのは知識を得るためであることが多いが、研究にとっては、「読む」の次に「考える」、そして「書く」という作業が不可欠である。そして、その中で最も大切でありながらもっとも理解されにくいのが「考える」である。だが、「沈思黙考」が何より大切なのだ。こうしたユーザーにとって有難い図書館とは何か。それはウインドーショッピングできる図書館かもしれない。書き込みをしたりぼろぼろになるまで読む本は自分で買うべきである。しかし買うには至らないが少しの間手元に欲しい本、参考文献として目通しすべき本、新しいテーマの本、未知の分野の本、こうした本を舌なめずりをしながら物色できる図書館があったならたいていのユーザーは幸せを感じることだろう。

gakujo@lib.fukushima-u.ac.jp

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