『書燈』 No.24(2000.4.1)

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ドイツのヴッパタールに暮らしてみて
行政社会学部 神戸 秀彦  

 私は、1997年の4月から、1998年の3月までの1年間、文部省の「海外研究開発動向調査」(2カ月、その後10カ月延長)のため、ドイツのヴッパタール市に滞在した。ヴッパタール市の名前は、日本では余り知られておらず、9割方の日本人は知らない。デュッセルドルフ市の東(特急電車で約20分)で、ケルン市の北東(特急電車で約30分)といえばわかる。あるいは、最近、ヴッパタール市の中心部を走る懸垂式のモノレールが落ちたところ、といった方がわかるかもしれない。

 このヴッパタール市には、ノルトライン・ヴェストファーレン州立の環境問題の研究所がある。名前をヴッパタール気候・環境・エネルギー研究所という(組織上は法人形態である)。所長は、日本でも有名なリヒャルト・ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の甥にあたるエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー博士である(その後、連邦議会議員選挙により、社会民主党の議員となった)。この人の書いた「地球環境政策」の翻訳書(宮本・楠田・佐々木訳、有斐閣)が、94年に日本でも出版され、話題となり、研究所の名前が広く知られるようになった。

 この研究所には、全部で4つの部門−気候部門・物流および構造転換部門・エネルギー部門・運輸部門があり、主に自然科学系の研究者で構成される各10人位ずつ計約50人の研究員がおり、それぞれがチームを組み、プロジェクト研究を行っていた。創立は91年で、私が訪れた当時、まだ創立6年目の若い研究所で、メインの建物も建築中であり、研究室はビルに間借りをする状態であった。

 そのような事情から、図書館といっても、やや大きめの図書室が1つあるだけだった。それでも、約1万6千冊(95年当時)と4人の職員を有し、私の滞在中に部分的に完成したメインの建物に引っ越しをしていったが、図書室の蔵書も、上記の4部門に分かれて良く整理されていた。ここには、ドイツ圏だけでなく、世界中の環境問題の文献も揃えられており、私の知る日本人の研究者の文献(ただし英文)もあった。何回か、図書室の秘書の方や研究員・研究所に助手として通う学生の手を煩わせたが、次第に限界を感じ、同じ市内にあるヴッパタール大学の行政法のブラント教授に連絡をとり、教授の好意で、特別閲覧証を発行してもらって、同大学の図書館を利用させてもらうことになり、結果として、こちらに度々足を運ぶこととなった。

 私の関心の一つは、ドイツの環境法、ことに廃棄物法にあった。既に日本でも相当紹介され、日本の包装容器廃棄物法立法当時に参考にもされた民間のデュアレス・ジステム・ドイチュラント(DSD)社によるゴミの回収・処理システムに関して、より突っ込んだ資料が欲しかった。また、リサイクルという発想を一歩進め、ゴミの発生の回避という考え方にたった循環経済法にも関心があった。

 ヴッパタール大学は、国立(ドイツの大学は若干の例外を除き国立)で、人文科学・社会科学・理工系を含めた14の専門分野からなる総合大学である。ヴッパタール中央駅からバスで10分位の丘の中腹にある。25の講義室と図書館・研究室・事務室を含む21もの建物群(最高17階)と、大学ホール・学生食堂・学生寮・駐車場などを有し、大学の真ん中を路線バスが通過する大きな大学である。

 図書館は5階からなり、その内の第2階に柵のついた入口があり、閲覧証を提示して通過する。内部は、完全な開架式であり、学生でも、書庫の中に自由に出入りできる仕組みになっている。入口のすぐ先には、新聞の閲覧コーナーがあり、上の階には、閲覧席があるが、書庫との境は全くなく、とにかく入口を入れば、中の移動は全く自由であった。また、書庫に隣接してコピー室があり、廊下をふくめ、コピー機が約10数台設置され、学生達は、コピー・カードを購入して、せっせとコピーに励んでいた。私も、日本では入手困難と思われる学位論文(ただし出版はされている)を発見して、悦に入りながら、ひたすらコピーに励んだ。図書の検索も、書庫の中のコンピューター(約20台)で行う。

 なお、ドイツ・EUでは、日本に比べ、資料収集の壁は低く、サービスが厚いというのが私の印象だ。ボンにある連邦環境・自然保護・原子炉安全省の資料室も訪れたが、職員が丁寧に対応してくれ、検索を手伝ってくれた(外国人だからか?)。また、ルクセンブルクのEU裁判所に、必要な判決文のコピーを手紙で依頼すると、即座に送付してくれ(ただし有料)、足らない分は、ドイツのここの大学にあると指示してくれる。しかも、それが遠隔地の大学であれば、手紙さえかけば、判決文の入力されたフロッピーを送付してくれるのである。

gakujo@lib.fukushima-u.ac.jp

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