福島大学附属図書館報 『書燈』 No.31(2003.10.1)

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『子午線の祀り』 木下順二 作 河出文庫 1990
笠井 博則

  ある本をきっかけに、ある方向に進んだとなれば感動的なお話になるのでしょうが、残念なことに学生当時によく読んだ小説などとまったく違う方向で研究者になってしまったので(私は今、数学の研究者)、そのようなストーリーは語れません。

 と、いうことでここではいまだに趣味にしている観劇のきっかけになった本を紹介します。

 この本は、戯曲です。有名な昔話「鶴の恩返し」を戯曲化した作品「夕鶴」の作者、木下順二の作品です。平家物語を題材に、一の谷の合戦から壇ノ浦の戦いまでが、新中納言知盛と九郎判官義経を中心に語られています。

 初めて読んだのは中学生のとき。それまで戯曲は

「台詞が書いてあるだけの無味乾燥なもので読んでどうするのだ。」と思っていたのですが。そのころテレビで若手の舞台作家兼演出家というのをみてお芝居に興味をおぼえ、図書館の演劇コーナーに立ち寄りました。そのとき、ふと作者の名前に見覚えがあるこの本を見つけて手にとりました。

 源平合戦なんてありふれているしつまらないと思うかもしれませんが、この本の一番印象的なところは幕の合間の詞(ことば)。星の運行のように、時代の流れが機械仕掛けのつくりものより厳然と動いていくことを簡潔な言葉で印象付けていきます。この戯曲は滅び行く平氏と後に滅びることになる義経の物語であると同時に、宇宙の摂理の物語です。戯曲も感情移入して読めるのだという発見。これがひとつのきっかけとなって、大学生になるまではいろんな戯曲を読みました。

 授業に追われなくなってから(楽しい研究の日々(?))は、数少ない趣味としてお芝居にずいぶんお金を注いできました。(立派な劇場で観るとお芝居は高いです。)客席にすわって暗闇から舞台を眺めているとき大音量とライトに当てられた役者の声・動きは別世界のように感じます。(いいお芝居を観るのは楽しいです。)

 「大空に跨って眼には見えぬその天の子午線が虚空に描く大円を三八万四四〇〇キロのかなた、角速度毎時十四度三〇分で月がいま通過するとき月の引力は、あなたの足の裏がいま踏む地表に最も強く作用する。

 そのときその足の裏の踏む地表がもし海面であれば、あたりの水はその地点へ向かって引き寄せられやがて盛り上がり、やがてみなぎりわたって満々とひろがりひろがる満ち潮の海面に、あなたはすっくと立っている。」(本文より)

 戯曲の中の人物たちに、自分の感じた抑揚で感情で物語を台詞を語らせてみませんか? 戯曲を読みはじめた瞬間からそのお芝居の演出家はあなたです。音楽やライティング、役者の動き。小説にはない、自由があなたには与えられています。ぜひ一度(気分転換として・日常生活の送れる範囲で(?))お楽しみください。

(教育学部助教授)

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