『書燈』 No.25(2000.10.1)

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思い出の一冊
行政社会学部 稲庭恒一

 30年近く法律を教えてきたが、学生諸君に法律を理解してもらえるように教えることの難しさを、教える都度味わってきている。反面、学生諸君にとっても、法律を学ぶというのはたやすいことではない、と思う。私自身、40年近く前、大学で法律を学び始めた時、つくづくそう思ったものであった。

 目(色神)の関係から、理科系はダメ、先生等々もダメ、と将来の進路が限定された中で、『法律を』と決めて法学部に進んだものの、1年生には法律が何かもよくわからないままであった。このころ、教養科目「一般法学」の授業で紹介されたイェーリングの『権利のための闘争』(1872年。岩波文庫)を読んだりしたが、法の目標は平和だが、それに達する手段は闘争である、権利が不当に蹂躙されたとき、蹂躙されたのは自分の人格であるから、命を懸けて闘わなければならない、闘わない者はウジ虫のごとく踏みつぶされても仕方がない、という主張に圧倒され、『性格の弱い自分には法律は向いていないのかも』と、弱気になったりしていた。そうこうするうち、2年生になり、法律の専門の中で基本となる憲法と民法の授業も始まった。

 当時は60年安保(日米安全保障条約締結)の数年後で、学内は政治・サークル活動が盛んであり、学生は今よりずっと自主性・積極性にあふれていたが、そんな中、同じ英語クラス(1クラス75名)の10名ぐらいで、法律の勉強会を持とうということになった。そのテキストとして読み合ったものが、この末川 博著『法律』(岩波新書)であった。本書は、法律一般を学ぶことを、それを通して法律と政治・経済(社会)との関係を知ることを、眼目にしており、また、著者は、先に挙げたイェーリングの著書・主張が法律を学ぶきっかけになった、と言う。「弱気になった俺とはだいぶ違うなあ」と思ったことを覚えている。「社会と規範」「国家と法律」等から入り「法律の実践」に至る190頁弱のものであるが、1週間か2週間に1回、レポーターを決め報告・議論し、「難しい・難しい」と言いながら1年近くかかって、読んだように思う。

 法律は、学生として学ぶのも、教師として教えるのも、難しい。でも、学び教える価値は大いにある。

gakujo@lib.fukushima-u.ac.jp

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