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経済学の文化的限界 |
一般理論を必要とするに至ったもう一つの決定的な原因は、「精 神的な貧困」という現代的な病理でした。物質的な豊かさに努力 |
を集中してきた経済学の文化的な限界を自覚して、経済という文化領域は他の文化諸領域とどのように関連し広い人間生活の中でどのような位置を占めているかという問題について改めて考察を深めることが求められています。経済に限りません。大塚は現代科学が「理論的専門化」といいますか、研究分野の細分化、タコツボ化におちいって、複雑な現代社会の諸事象、諸病理を把握し対応し切れていないことを指摘して、特定の課題の解決に向けて多くの研究分野が垣根を超えて結集する、テーマ凝集的な「実践的専門化」の重要性を強調されました。 ガンならガン、あるいは環境なら環境というようなテーマへの実践的な専門化ですが、そのためにディシプリンとしては学問領域を超えて総合化していく、その意味では「理論的総合化」、そうした形で超領域型研究様式の開発を提唱されていたわけです。 |
「日本人の眼」で |
しかも大塚はこの新しい一般理論の形成に「日本人の眼」が大きな 貢献を果たせるはずであり、その努力が「日本の社会科学を作り上 |
げていく」、と強調しています。経済の高度成長を果たしたけれども「心の貧しさ」と資源エネルギー、環境問題を激しく経験した日本、アジアの文化の流れに位置しながら西欧文化を受容し変容した日本人、そういう立場で文化比較を試みる場合、ただ欧米起源の「方法的枠組をもらってきて、それにアジアの対象的事実をつめこんでお返しする」のでは物足りない。 欧米の偉い学者がクェスチョネールを用意してきて、それに日本の学者が日本ではこうでしたと答えていくだけでは寂しいんじゃないか。われわれも「方法的枠組を作る、あるいは、作りかえるという仕事に参加」すべきではなかろうか、ということです。談合や派閥・人脈、過当競争と独占癖、身内と余所者、そうした事柄を「すべて背後で一つに繋がり合っているような文化事象としてシスティマティックにつかみうるような」一般理論を構築しない限り、経済現象と文化現象、経済摩擦と文化摩擦を「理論的に接合させ、現実に役立たせる」ことはできるはずもない。 そういう大塚先生の発想を見ていますと、大塚史学はいったい「日本の現実に立って、つまるところ何を意味しているか」と設問して、「せいぜい、[まだなお]『現代的意味がある』といったていどの平板でぼやけた認識」で応答するのでは、これは内田義彦先生が生前に嘆かれていたことなのですが、それでは到底すますことはできないんじゃないか、と考えさせられるわけなのです。 | |
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